チョコレートの発祥と歴史がおもしろい!
チョコレートの始まりと変化の道のり
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スーパーやコンビニのお菓子コーナーには、様々な種類のチョコレートが溢れています。色や形、味の違いはもちろん、ナッツにコーティングしたものや、健康効果の高いハイカカオチョコ、暑い夏になると食べたくなるチョコレートアイスなど。今や私たちの食生活に欠かせない定番の食材となっています。
そんなチョコレートですが、その歴史をひも解くと、意外にも始まりは紀元前。ここではチョコレートの始まりから日本初のチョコなど、当時の人々に思いを馳せながら掘り下げてみたいと思います。
「神様の食べもの」として食された紀元前
チョコレートの原料であるカカオ豆は、紀元前1500年頃、古代メキシコのオルメカ人によって栽培が始められました。中南米では貨幣として流通した時代があり、税や貢ぎ物として納められるほどの価値があったのだとか。食用としてはカカオ豆を粉砕して作るドロッとしたチョコレート飲料「ショコラトル」に、とうもろこしの粉を加えたりスパイスなどで香りづけをしたものが飲まれていたようです。
カカオの学名「テオブロマ・カカオ(Theobroma cacao)」の「テオブロマ」はギリシャ語で「神様の食べもの」を意味します。チョコレートは王族などの特権階級しか飲むことが許されない、大変貴重な飲み物だったのです。
美味しさに感動!ヨーロッパへ持ち込まれたきっかけ
時は過ぎて1519年、アステカ王であるモクテスマ2世の前に、あるスペイン人が現れました。エルナン・コルテスという、後にアステカを征服し、カカオをスペインに持ち帰った人物です。初めて「ショコラトル」を振る舞われたコルテスは、その美味しさにたいへん感動したといいます。その後、「ショコラトル」に砂糖を加えたものがヨーロッパ全土に広まりました。
進化を遂げたチョコレートが人々を魅了
ヨーロッパに「ショコラトル」が持ち込まれてから300年後、オランダ人のヴアン・ホーテンが「ショコラトル」をもっと飲みやすくする方法を確立しました。カカオ液からココアバターを抽出する圧搾機を製作。カカオ豆に含まれるココアバターを減らして、水に溶けやすいココアパウダーを作ったのです。
それから約20年後、イギリス人のジョセフ・フライが、すり潰したカカオ豆に砂糖とココアバターを加えて混ぜ合わせ、現代のチョコレートの原型である「食べるチョコレート」を発明しました。その後、改良が加えられながら、甘くまろやかな口当たりのチョコレートへと進化。そして全世界に広まっていったのです。
日本初のチョコは遊女がもらった「しょくらあと」
チョコレートが日本に伝わったのは江戸時代。長崎県の遊女町に残る記録「寄合町諸事書上控帳」に、出島のオランダ人が帰国する際に遊女が貰い受けて届け出た「しょくらあと 6つ」という記載があります。この記録は損傷したり抜け落ちた部分も多い他、届け出がなされていないものなどもあったと考えられていますが、現存する資料ではこれが日本で最初のチョコレートとされています。
まとめ
チョコレートの原材料であるカカオ豆は、古代メキシコの人々によって栽培されていました。かつては、貨幣や貢ぎ物などとして使われていた時期があり、食品としては、すり潰したカカオ豆で作られた「ショコラトル」という飲み物が始まりです。「神様の食べもの」と呼ばれていたことからもわかるように、王族などの特権階級しか口にすることはありませんでした。
それからスペイン人によってヨーロッパに持ち込まれて味が改良された後、現代のチョコレートの原型となる固形のものが作られました。日本にチョコレートが伝わったのは、長崎の遊女が出島のオランダ人からもらったものが最初と言われています。はるか遠い昔から度重なる改良を経て、海を渡り、今も私たちの舌を喜ばせてくれているチョコレートなのです。
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